『墨東奇譚』(ぼくとうきたん)で有名な、永井荷風が憧れの地フランスで感じたこと、見たものを美しく綴った短編集『ふらんす物語』をご紹介します。
『あめりか物語』との落差のクセがスゴイw
『ふらんす物語』の基本情報
著者 | 永井荷風(ながいかふう) |
初出 | 1909(明治42)年 |
ジャンル | 純文学 |
ページ数 | 336頁(新潮社紙の書籍) |
『ふらんす物語』の概要
『ふらんす物語』は永井荷風が1907(明治40)~1908(明治41)年のおよそ10か月間を過ごしたフランス滞在記です。
フランス外遊の直前はアメリカに4年間いた荷風ですが、もともとアメリカではなくフランスへの強い憧れがあったようです。
荷風はゾラやボードレール、ヴェルレーヌといったフランス文学に傾倒していました。
1908年に出版した『あめりか物語』は風景の抒情的な描写が美しいものの、アメリカの暗部を見つめた作品が多い印象です。
対して『ふらんす物語』はとにかくフランスの街並み、自然や人々、フランス語を賛美する作品が殆どであり荷風の喜びに満ちています。
『ふらんす物語』は1909年に出版されましたが、当時の日本政府によって発禁となりました。
現代の私たちが読んでも特に過激だとは感じない内容ですが、日本の政府や風俗を批判した部分が引っかかったようです。
1915年に再出版が許されました。
『ふらんす物語』の簡単なあらすじ
船と車
ニューヨーク→フランスのル・アーヴル港へ入る様子、上陸してからを描いた作品。
ル・アーヴル港はフランスの小説家モーパッサンの『情熱』『叔父ジュール』『兄弟』に登場する港なので、荷風は小説を思い浮かべながら船に乗っています。
好きな小説の舞台が現実に目の前にあるなんて、興奮しますよね。
汽車に乗ったら乗ったで、今度はゾラの『人間の獣性』に思いを馳せたり、車窓から見る風景がまるで絵のようだと感嘆したり、田園画家ジュール・ブルトンの詩を諳んじてみたり……
ああ故郷を去って以来四年の旅路に、自分は今までこんな美しい景色に接したことはない。
永井荷風著『船と車』より
楽しそうでよかった(笑
ローン河のほとり
ローン河とはローヌ川のこと。
ゴッホが描いた『ローヌ川の星月夜』と同じローヌ川ですが、ゴッホが見たのはフランスのアルルのローヌ川、荷風が見たのはリヨンなのでゴッホの方が河口付近ですね。
フランスに到着して2週間後のお話。ローン河の河原に腰を下ろして、アメリカに滞在していた頃を思い出します。
『あめりか物語』の短編に登場した女性でしょうか、恋について思考を巡らせる作品。
秋のちまた
タイトル通り、秋のフランスを描写した作品であり物寂しい雰囲気もあるのですが、『あめりか物語』のような深い闇ではなく、絵画を見ているような感覚になります。
秋雨続きで滅入った心に、荷風はヴェルレーヌの詩を思いだします。
巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る。
かくも心ににじみ入る このかなしみは何やらん?
ヴェルレーヌ著『巷に雨の降るごとく』堀口大学訳
巷(ちまた)に雨の降るごとく、で始まるこの詩は堀口大学の名訳も相まって有名であり、ほしにゃーも好きな詩です(堀口大学推し)。
この詩は獄中でヴェルレーヌがランボーに宛てたとされる詩です。
この詩にしてもこの詩を思う荷風にしても、深い悲しみや孤独は感じるものの現実感のない浮世離れした感があるのは、フランスマジックでしょうか……
蛇つかい
今度は一転して、真夏のフランス。
ジプシー(ロマ)にまつわる話。
北インド起源の移動型民族のこと。移動生活者の印象があるが、現代では定住生活をする者も多い。「ジプシー」という呼び方は、長い間の偏見、差別などの為に、最近では彼等を指す言葉として、「ロマ」の名称が用いられることが多い。
コトバンク「ジプシー」より
晩餐
荷風はフランスで横浜正金銀行リヨン支店に勤めていました。
『晩餐』は他銀行の役員となっていた旧友、竹島と共にとある銀行の頭取の社宅へお邪魔した折の話です。
祭の夜がたり
『晩餐』の竹島君とは違う友達の話。
つかず離れず、本音を言い合える友人って人生で得難い宝ですよね。
荷風以上に「フランス狂い」を自認する友人の恋愛話。
霧の夜
冬のリヨン。
食べるために作られていく芸術や哲学について。
おもかげ
学生街カルチェラタンについて。
プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』やモーパッサンの小説、ゾラの『クロオドの懺悔』に登場するカルチェラタンを散策する荷風。
カルチェラタンでカフェに入った折、日本人と因縁のある女性と知り合いますが……
小デュマ原作ヴェルディ作曲のオペラ『椿姫』や、ジュール・マスネのオペラ『タイス』も織り交ぜて。
再会
海外で仲良くなった友人、蕉雨(しょうう)とのパリでの再会。
米国嫌いという共通点がある荷風と蕉雨は、アメリカのセントルイスで出会い意気投合したようです。
蕉雨は憧れのヨーロッパにいるというのに元気がなく、荷風を驚かせます。
成功するということについての蕉雨の持論が考えさせられます。
ひとり旅
とある伯爵のもとに、宮坂という美術の留学生から手紙が届きます。
宮坂の独特な芸術論が展開される話。
雲
外交官小山貞吉(こやまていきち)の話。
パリの帝国大使館に勤めている貞吉はワシントン、ロンドンと併せて8年間海外にいます。
貞吉は街で女性と出会い、アメリカにいた頃つきあっていた女性を思い出しますが……
巴里(パリ)のわかれ
パリを去る時が来た荷風の煩悶。
日本へ帰りたくない荷風は、最後の思い出にと街を歩きながらフランスへの賛歌を綴ります。
とうとうパリを後にしてロンドンに到着し、偶然出会ったフランス人女性のフランス語にさえ喜びを覚えるのでした。
黄昏(たそがれ)の地中海
日本へ帰るための船旅の様子。
ポルトガルースペインーモロッコへと進む中で、まだ帰りたくなくて「船が壊れるか沈めばいいのに」と往生際が悪い荷風。
歌劇『カルメン』や『ドンファン』を思い浮かべつつ日本の歌と比較し、日本の音楽が持っていないものを嘆きます。
ポートセット
エジプト、スエズ運河の風景や人々の描写。
新嘉坡(シンガポール)の数時間
フランスを出港した船は、シンガポールへ到着しました。
ヨーロッパからアジアへ進むにつれ、荷風の心は嫌悪感に満ちていきます。
船上で日本人の家族を紹介されますが、日本人や日本の文化への批判が噴出していくのでした。
この辺りの日本批判が発禁処分の原因でしょうか……
西班牙(スペイン)料理
アメリカ在住の頃を思い出しています。
フランス大好きな荷風はアメリカにいながら、敬愛するヴェルレーヌが好んだというスペイン語に親しむため、スペイン料理屋へ通っていました。
橡(とち)の落葉
橡の落葉の序
パリの話。パリ市街には、日本の橡の木に似た木であるマロニエが植えられていました。
いかにマロニエを愛していたかが語られます。
墓詣
パリの西にあるラシェエズの墓について。
ロッシーニ、バルザック、モーパッサン、そして荷風が特に愛するボードレールなどの墓があります。
荷風はラシェーズと書いていますが、現在のモンパルナス墓地を指しているようです。
休茶屋(やすみぢゃや)
リヨン郊外のソーン河のほとりにて。
裸美人(らびじん)
舞台を見に行く荷風。
恋人
パリにあるカフェ・アメリカンの夜。
夜半の舞蹈(ぶとう)
モンマルトルにある舞踏場、バル・タバランの夜。
美味
彼女との食事。
ひるすぎ
ポーレットと過ごす午後。
舞姫
リヨンのオペラ座で一番の舞姫、ローザ・トリアニへの賛歌。