志賀直哉著『暗夜行路(あんやこうろ)』をご紹介します。
正確無比の、緻密で透明感ある文章が気持ちいい小説です!
紙の書籍(文庫)はこちら↓
kindle版はこちら↓
『暗夜行路』の基本情報
著者 | 志賀直哉(しがなおや) |
ジャンル | 純文学 |
完成年 | 1937年 |
ページ数 | 640頁(紙の書籍) |
1921年から断続的に発表しています。
『暗夜行路』の登場人物と簡単なあらすじ
時任謙作(ときとうけんさく)
〇主人公。母は病死し、6歳の時『自堕落で下品な』祖父の家に引き取られる。
〇父はほぼ冷たく、信じきれない気持ちを抱いている
〇本当に自分を愛してくれたのは母だけだと思っている
〇やや神経質で潔癖症気味
〇モデルは志賀直哉自身、と志賀があとがきで書いている
前篇
柔道3段、理系でフランス留学を控えた友人竜岡(たつおか)と、小説家仲間の阪口(さかぐち)が謙作の家を訪れます。
阪口が書いた小説、引いては阪口自体に腹を立てていた謙作は竜岡も交えて口論しますが、3人は竜岡の留学先へのお土産を買いに街へ出ます。
竜岡くんはサッパリしてて思いやりもあって良いヤツです。
竜岡が急に「吉原見物」がしたいと言い出し、美しい芸者と朝まで遊びます。
謙作は以前経験した失恋のせいで人間不信気味で、芸者たちに心を惹かれたりもするのですが臆病になっていました。
愛されたいという渇望、死してなお残るような仕事への願望など悩み多き謙作は、放蕩を始めます。
夢中になれる女性を探して彷徨う中、祖父の妾であったお栄への思慕が大きくなる一方。謙作は逃れるように尾道(広島県)へ旅行に出ます。
尾道に滞在中、金比羅や高松、屋島などへ観光。
お栄との結婚を決意した謙作の元へ、兄信行から衝撃の事実を知らされます。
信行兄ちゃんが善良で優しい……
ショックを受けつつも、東京への帰り道にちゃっかり姫路城見学もしちゃう謙作。
帰京すると、40代になった兄信行は会社をアーリーリタイアして禅修業したいと言い出すのでした。
後編
京都へ引っ越し心機一転、散歩途中で『鳥毛立屏風(とりげだちびょうぶ)の美人by友人高井』である直子に一目惚れ。
高井や信行、信行の友人らの助けで結婚に至ります。
孤独で虚無に満ちていた謙作の心は、この結婚にまつわる周囲の人たちの愛情に気づいて次第に癒されていきます。
新婚ラブラブカポーのキャッキャウフフを経て、中国→朝鮮へと渡り商売も芳しくないお栄さんを迎えに行くことに。
やがて謙作と直子には赤ちゃんが生まれますが、その後二人には……結末付近は書かないでおきますね。
ラストシーンは意見が分かれるところかもしれません。
志賀直哉について
〇1883(明治16)年生まれ、1971(昭和47)年没の小説家
〇東京帝国大学国文科中退
〇白樺派の名前の元となった雑誌「白樺」の創設メンバーの一人
〇父との不和が小説のテーマ
〇超引っ越し魔で、10都道府県に計23回引っ越している
〇代表作は『暗夜行路』『城の崎にて』『和解』『小僧の神様』など
山手線の電車にはねられたことがあるそうです。怪我だけで済んで良かった。
志賀直哉の関連人物
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)
かっこいい名字よ……と思ったら、武者小路家は公家の家系。
志賀とは同学年だったけれど、実は志賀の2歳年下、代表作は『友情』『人間万歳』など。
会つて、一番心に近く感じ、別れて後まで愉しい気持ちを残してくれるのは矢張り武者小路である。
志賀直哉著『武者小路と私』より
武者小路は学習院中等科5年からの友人であり、共に雑誌『白樺』を立ち上げた文学仲間でもあります。
かなり近しい間柄で、一緒に旅行したり近所に住んでみたりと仲良しさん。
志賀は武者小路のことを「武者(むしゃ)」と呼んでいたそうです。可愛いか。
ちなみに志賀は、武者小路の従妹と結婚しています。
有島生馬・里見弴
有島生馬(ありしまいくま)は画家で、志賀と雑誌『白樺』の創刊仲間。
志賀が心を開いて話せる友人だったのですが、ヨーロッパ留学を経て友情にヒビが。
里見弴(さとみとん)は白樺派の小説家で有島生馬の弟。
小説『或る女』『一房の葡萄』などで有名な有島武郎(ありしまたけお)が長男、有島生馬が次男、里見弴が三男。
有島家の才能スゴイ。ちなみに四男は映画プロデューサー。
里見は『暗夜行路』に登場する阪口のモデルと言われています。
志賀と喧嘩もするけど長期旅行したりする仲良し。小説家としても菊池寛賞や文化勲章を受章しており、『彼岸花』『秋日和』は小津安二郎によって映画化されています。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)
『羅生門』『鼻』『河童』などの作品で知られる短編小説家。
夏目漱石を大変尊敬していて、漱石の葬式の受付もしています。
志賀や武者小路、芥川らに慕われる夏目漱石の偉大さがわかりますね……
芥川龍之介は志賀直哉を大絶賛した作家で、死後に発表された『歯車』の中に『暗夜行路』が登場します。
著書『文芸的な、余りに文芸的な』の中でも、最も詩に近く純粋な小説を書くのは志賀だと評しています。
『暗夜行路』が完成するまでの経緯
発表され始めてから完成するまで、17年もかかっている『暗夜行路』。
何故そんなに時間がかかったのかについては
- 長期連載という発表形式が苦手だった
- 書いている途中でテーマが変わった
この二つが大きな原因のようです。
完成までの時系列をまとめてみましたが、紆余曲折ありすぎる(笑
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)が間を取り持ち、夏目漱石が新聞社に志賀直哉を推してくれたことで東京朝日新聞への連載が決定します。
志賀、武者小路は夏目漱石の大ファン。推しからの推しは嬉しかっただろうなあ……
志賀直哉は中短編が得意な作家。
『暗夜行路』が志賀が書いた唯一の長編小説ですし、毎週山場を求められる新聞での連載は志賀の小説の書き方に合わなかったのです。
『時任謙作』というタイトルで書き始めた小説は、いったん頓挫します。
どうしても書けない志賀は、1913年夏目漱石の家を訪れて連載を辞退することを伝えます。
ちなみに、志賀の小説は夏目漱石の『こころ』の後に連載されるはずでした。豪華すぎる。
敬愛する夏目漱石への申し訳なさに悩んだ志賀は、3年ほど小説を書けなくなります。
1916年、夏目漱石が亡くなります。
夏目漱石への不義理から小説を書けなくなっていた志賀は、漱石の死により(言い方は悪いですが)精神的に解放され、執筆を再開します。
漱石へのお詫び的な作品『佐々木の場合』を発表。これも武者小路実篤の勧め。良い友である。仲良きことは美しき哉by武者小路実篤
志賀が書いていた『時任謙作』は父との不和がテーマでした。
しかし1916年、長年仲の悪かった父と和解を成し遂げます。
この時に書いたのが『和解』という中編。しかし『時任謙作』を書き続けるテーマが解決してしまったことで、またまた執筆は止まってしまいます。
父との不和以外で新しいテーマの構想を得た志賀は、タイトルを『暗夜行路』と改めて執筆を再開します。
今度は大阪毎日新聞への連載が決まりますが、新聞社からの要望を受け入れられなかったので連載ならず。
芥川龍之介と一緒だった瀧井孝作(雑誌者の記者・作家)との出会いから、雑誌『改造』において『暗夜行路』が発表されることに。新潮社から前編が出版されます。
前編から後編は間が空きましたが、1937年ついに『暗夜行路』全編が完成。
冒頭には「武者小路実篤兄に捧ぐ」との献辞があります。
同じく完成までに長期間かかった川端康成『雪国』もおすすめ!
ほしにゃー’s レビュー
後半はスルスルっと進むのですが、前半が長い。
しかし文章の美しさが半端ないので、ストーリーというよりも文章自体の魅力で前半乗り切った(?)感じです。
小説の神様と言われるだけのことはあって、日本語のお手本のような名文です。
志賀直哉本人が主人公のモデルなのか、すると志賀直哉って気難しくて潔癖そう……でも友達が多いし、喧嘩しながらも濃い繋がりを長続きしているので、そう付き合いづらい人でもないのか。
いや武者くんは人徳がありそうなので、周りに恵まれたのかもしれん。
当時の言葉なので、語尾に「ネ」をつけたりするのにクスッとしちゃったり。
急に「ポートフォリオ」なんて言葉も出てきて現代っぽかったり。
自分にも他人にも理想が高いだけに、頭ではこうありたいと願っているのに心が裏切ってしまう。
自分が思うほど自分は完璧な生き物ではないし、孤独を気取って目を背けてしまうほど世界は冷たくない。
そういう葛藤を、微に入り細を穿って書いている作品でした。
あとストーリーには関係ないけど、この一文が笑えたのでご紹介。
謙作は人並外れて字が下手だった。殊に毛筆で書くと自分でも下手なのに感心した。
志賀直哉著『暗夜行路』より
感心すんなw