こんにちは、ほしにゃーです。
今回は坂口安吾(さかぐちあんご)の『不良少年とキリスト』をご紹介します。
坂口安吾著『不良少年とキリスト』は著作権が切れているので、ネット上で無料で読むこともできます。
『不良少年とキリスト』の基本情報
・坂口安吾は1906(明治39)年生まれの小説家、評論家
・代表作は『堕落論』『白痴』『桜の森の満開の下』など
・推理小説、歴史小説、エッセイ、評論など幅広く執筆活動を展開した
・『不良少年とキリスト』は1948年(昭和23年)、同じ無頼派/新戯作派に属する作家、太宰治の自死を受けて書いた作品/60ページ(媒体によって変動します)
『不良少年とキリスト』の概要
『不良少年とキリスト』が書かれた背景
『不良少年とキリスト』は1948年に入水自殺した太宰治を偲んで書かれた作品です。
坂口安吾と太宰治は同じ無頼派(ぶらいは)/新戯作派(しんげさくは)と呼ばれる文壇の一派であり、坂口は太宰の作家としての才を高く評価していたようです。
『不良少年とキリスト』のあらすじ
『不良少年とキリスト』では、坂口安吾が太宰治の作家としての姿勢を考察し、その早すぎる死についての私見を述べつつ悼んでいます。
坂口は太宰治の自死について『太宰治情死考』というエッセイも書いていますが、こちらは『不良少年とキリスト』より砕けた、ぶっちゃけ太宰治と情死した山崎富栄の悪口に終始している短い日記のような文章です。
だいたい坂口のエッセイは悪口が基本ですけども……
太宰は、M・C、マイ・コメジアン、を自称しながら、どうしても、コメジアンになりきることが、できなかった。
坂口安吾著『不良少年とキリスト』より
坂口から見た太宰治という作家は、コメディアンになりきることができなかった真面目で常識的な男だったようです。
その太宰の人となり、生き方が作品の良し悪しだけでなく、情死した原因ともなっていると論じています。
また複雑で繊細な性格である太宰のことを「大人になりきれなかった不良少年」と評し、坂口自身の死生観についても述べて作品を締めくくっています。
ほしにゃー’sレビュー
坂口安吾のエッセイはとても人間的というか歯に衣着せぬ物言いというか、逆に言うと堅苦しくなくて、現代風の感性に近い文章なので読みやすいかも知れませんね。
好き嫌いははっきり分かれる感じですが……
個人的に、ほしにゃーは太宰治作品がめっちゃ苦手です(あっ)。
有名どころの作品は一通り読みましたが、自己憐憫が過ぎて好きになれない。
しかし今回『不良少年とキリスト』を読んで、ああ太宰という作家はこういう見方もできるのかと目からウロコが4枚くらい落ちました。
文学とは人間が生きる上で持つ苦悩や葛藤を作品として昇華し共有するものだと思いますが、太宰はその辺りのバランスの取り方が不器用だったのだな、と。
飽くまでも私見です。太宰のバランスがお好きな方も大勢いらっしゃいますよね。
蛇足ですが、太宰の小説ではなくエッセイは好きという誰得ほしにゃー情報をお伝えして終わりにしたいと思います。