こころ/夏目漱石

それから

高校の国語の教科書にも載っている、夏目漱石の『こころ』をご紹介します。
『こころ』は著作権が切れているので、無料でkindleで読めます。

紙媒体で手元に置いておきたい派のあなたはこちらをどうぞ。

目次

『こころ』の基本情報

基 本 情 報

・1914年に朝日新聞に掲載され、岩波文庫から出版された連載小説。漱石の代表作。
・夏目漱石は1867年(慶応3年)生まれ、1916年(大正5年)没の小説家・英文学者・俳人。近代日本を代表する文豪の一人。
・岩波文庫出版『こころ』は300ページ。(媒体によって変動します)
・漱石の後期三部作、最後の作品(彼岸過迄→行人→こころ)。
・ドラマ、映画、漫画、舞台化多数。

ほしにゃー

千円札の肖像画にもなっているので、日本人で夏目漱石の顔を知らない人はほぼいないですよね。

『こころ』の概要

『こころ』は上・中・下の3篇で構成されています。

上 先生と私
中 両親と私
下 先生と遺書

上 先生と私

夏休みに鎌倉の海を訪れた「私」は、初めて出会った「先生」にひどく惹かれ親しくなろうとする。
その後東京に戻り、先生の内面に触れようと躍起になるが一定以上近づくことができない。

先生は私や周りの人間との間に壁を築いており、それが何故なのか、先生の過去に何があったのか「私」は不思議に思う。
先生の妻とのやりとりや「私」の父の病気などを経て、先生は次第に「私」に心を開いていく。

ほしにゃー

「私」が初見から「先生」にグイグイ惹きつけられる様子が、もうどう見てもフォーリンラブ的なんですよね……むしろストーカーぽいw

中 両親と私

父の病が重いと報せを受け、「私」は東京から帰郷する。
容体が安定したので東京へ戻ろうとした矢先、父の病状は急速に悪化してしまう。

父は重篤になり意識朦朧となるが、先生からの遺書めいた手紙に居ても立っても居られなくなった「私」は、東京行の電車に飛び乗るのだった。

ほしにゃー

故郷での「私」は、家族親族に「先生」の真価が伝わらずイライラします。

下 先生と遺書

「先生と遺書」というタイトルの通り、先生から「私」への遺書(手紙形式)になります。
先生からの遺書には、先生がひた隠しにしてきた過去についての告白が記されていました。

先生の生い立ちや人間不信に陥った過程、そして親友「K」と「お嬢さん(現在の妻)」との三角関係の顛末が詳細に描かれています。

ほしにゃー’s レビュー

ブロマンスとしての『こころ』

久しぶりに再読してみると、上「先生と私」のブロマンス臭にびっくりですよ(漱石先生意図が違ってたらごめんなさい)。

その時私はぽかんとしながら先生のことを考えた。どうもどこかで見たことのある顔のように思われてならなかった。

夏目漱石「こころ」より

↑あ、実は以前どこかで知り合っていた可能性の伏線?かと思いきや、全くの初対面
それなのに、先生会いたさに毎日浜に出かけ、先生の後を追ってザブザブ泳いで行っちゃうというストーキング行為。

「私」は大学生で「先生」は30歳過ぎくらいの設定なので、10歳以上離れている二人です。
イケイケな「私」と違って、しばらく「先生」が引き気味なのも納得すぎます。

ほしにゃー

この展開、なんか既視感がスゴイ。

陰のある年上男性に惹かれるワンコ男子。猛アタックを受けるうち、心のガードが外れてきて……
っていう漫画や小説あるよね!「君の相手に私はふさわしくないんだ」とか言いつつ、結局心を傾けていくっていう葛藤も1万回くらい見た気がする!

「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめるといやになります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。」

夏目漱石「こころ」より

いや、やっぱりどう読んでもBLあわわわwほかにも名台詞がてんこ盛りです。
(それと下「先生と遺書」に出てくる親友「K」と先生も怪しい←)

日本の近代文学最高峰と謳われる夏目漱石によるブロマンス小説、読んでみたくなりませんか?

孤独と理想、繰り返される罪

『こころ』を再読して思い浮かんだのは、香港映画『インファナル・アフェア』でした。

『インファナル・アフェア』の原題は『無間道』(=終わることのない苦しみ)という恐ろしいもので、善と悪の狭間で苦しみ続ける主人公ラウの話です。
『こころ』は己の罪の意識に蓋をし、やり過ごしてきた孤独な「先生」が、自分を慕う「私」によってこころの封印を解かれていくというストーリーになります。

他の漱石の小説と同じように、『こころ』には「人間はこうであるべき」という崇高な理想と、そうはいかない「現実の自分」とのギャップに苦しむ場面が多く出てきます。
また他人の罪を責め、ひどく軽蔑した後で、全く同じ罪を自らも犯してしまうという人間の愚かさも赤裸々に描かれ、「先生」が次第に追い詰められていく様子がとてもリアルで他人事とは思えない。

ほしにゃー

大正時代だろうが令和だろうが、人のこころはそう変わりないんですよね。

「明治の文豪が描いた小説」と聞くとどんな小難しい、高尚な話かと身構える方もいらっしゃるかも知れません。
しかし理想と現実、そして近くにいる人とも完全には分かり合えない孤独に翻弄されもがく姿は、現代に生きる私たちと何の違いもないのではないでしょうか。

(あと一つ言いたいのは、この小説のエンディングは決して一つとは限らないってことです。間に合う可能性だってある!むしろ間に合ってくれ!)

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