英文学者・批評家であり、お茶の水女子大学教授(名誉教授)・昭和女子大学教授を歴任した外山滋比古(とやましげひこ)の著作「乱読のセレンディピティ」をご紹介します。
ショーペンハウアーの「読書について」の記事もありますので、併せてどうぞ。
『乱読のセレンディピティ』の基本情報
・「乱読のセレンディピティ」外山滋比古著(2014年刊行)
・発行元 扶桑社文庫/227ページ(媒体によって変動します)
・外山滋比古は1923年生まれ、2020年没の文学博士。著書であるエッセイ「思考の整理学」(1983年刊行)は東大生や京大生にも強い支持を得ており、ロングセラーとなっている。
・「知的創造のヒント」「日本語の論理」など著書多数。
ショーペンハウアーの「読書について」を読了後に「乱読のセレンディピティ」を読んだ私。
ドイツと日本の国民性や文化、生きた時代の違いもあるのでしょうが、そういう背景を抜きにしても両者の性格はかなり違う印象を受けました。
「外国語を翻訳したもの」は苦手という方もいらっしゃるでしょう。母国語で書かれた「乱読のセレンディピティ」は語り口も平易で優しく、とても分かりやすかったです。
読書指南書として読み比べてみるのも一興ではないでしょうか。
『乱読のセレンディピティ』概要
セレンディピティとは?
セレンディピティ(serendipity)思いがけないことを発見する能力。とくに科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。
外山滋比古著「乱読のセレンディピティ」より
予想していなかった化学反応が起こり、しかもそれが有用な発見である時にセレンディピティという言葉が使われます。
「乱読のセレンディピティ」は、熟読・精読ではなく読みたいものを読みたいところだけ読んで良し!むしろ薦める!というスタンスなので、乱読により取り込んだ雑多な知識が思わぬ発見・発想に至るという考え方がこのセレンディピティとして表されています。
本は必ず全部読まなきゃ!という先入観ってありますよね
セレンディピティを手に入れるための心得
- 書評を当てにせず、自分で選んだ本を買って読め。
- つまらなければ全部読まなくて良し。
- 多読したから身につくと思ってはいけない。知識は生きた思考と結びついてこそ力がある。
- 一語一語にこだわらず流れを大切に。
- 一定のジャンルに留まるな。
- 作者の言うことを絶対視するな。
- 「読み」も良いが「聴く・話す」ことも大切に。
- 忘却を経て知識が変容する面白さもある。
- 適度な睡眠、散歩と朝活のすすめ
ほしにゃー’sレビュー
本を買う時「失敗したくない」と思うのは人情だと思います。
図書館で借りるならまだしも、身銭を切るのですから「無駄は避けたい」ですよね。
ところが外山先生が仰るのは真逆!
しかし言われてみれば、読むジャンルの固定感が凄い。興味のないジャンルの本棚なんか、見向きもしなかったことに気づかされました。
このブログを作るにあたって「そもそも読書の仕方とは?」を改めて知ろうと思い立った訳ですが、これも私にとっては乱読ジャンルです。
確かに乱読によって、新しい発見がありました。
「全部読まなくてもオッケー」と言われれば、読書に苦手意識がある方は読書に対する敷居がグッと低くなりますよね。
そして読書好きにとっては、新しいジャンルに目を向ける(失敗してもオッケーなのでこちらも敷居が低い)契機にもなります。
ショーペンハウアーの「読書について」でも同じことを書かれていましたが、読書するだけでなく自分の中に落とし込み、自分の頭で考えることが重要なんですよね。
趣味にしろお仕事にしろ、セレンディピティが欲しい方は是非「乱読のセレンディピティ」を手に取ってみてはいかがでしょう。
また外山先生のセレンディピティを得るために乱読せよ、という考え方はラテラルシンキングの応用と言っていいのではないかと思います。
ラテラルシンキングって何?という方はこちらもどうぞ。