吾輩は猫である/夏目漱石の処女作

吾輩は猫である

こんにちは!今回は夏目漱石の長編喜劇/風刺小説『吾輩は猫である』をご紹介します。
『吾輩は猫である』は著作権が切れているので、kindleで無料で読むことができます。

ほしにゃー

作品名は有名ですよね。
英題の”I am a cat”は正しい訳だけど、原題の趣旨は伝わらない……

紙媒体で手元に置きたい派のあなたはこちら↓をどうぞ。

目次

『吾輩は猫である』の基本情報

基本情報

・夏目漱石の記念すべき処女作。高浜虚子の勧めで書いたもので、俳句雑誌『ホトトギス』に掲載。
・1905年(明治38年)~1907年(明治40年)刊行。
・E.T.A.ホフマンの『牡猫ムルの人生観』という作品にヒントを得たと言われている。
・映画化、舞台化、ドラマ化、アニメ化、漫画家、オペラ化、パロディ化されている。

ほしにゃー

漱石38歳で作家デビュー。案外遅いんですねー。
漱石は1916年に亡くなっているので、作家人生はおよそ11年になります。

『吾輩は猫である』の概要

『吾輩は猫である』のあらすじ

『吾輩は猫である』の主人公は、名前のないオス猫です。
といっても決して野良猫ではなく、珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)というヘンテコな名前の偏屈で貧乏な英語教師が飼い主です。

ほしにゃー

飼い主の名前からして、悲壮な物語じゃなさそうだなと予測できますよねw

名無しの猫は『淡灰色の斑入(まだらいり)』で、人の言葉がわかるだけでなく人間社会を洞察し、哲学的思索に耽る知的な面を持っています。
飼い主である苦沙弥先生の家には、妻と3人の娘(とん子・すん子・めん子)、下女(下働き)のおさんが住んでいて、子供たちがまだ幼いこともあり大変にぎやかです。

ほしにゃー

娘たちのネーミングセンスよwww

また、苦沙弥先生の家を頻繁に訪れる友人・弟子たちも変わった人たちです。

〇迷亭(めいてい)…自称美学者でいつもしょーもない冗談やホラ話を言いまくる男。
〇水島寒月(みずしまかんげつ)…物理学者で俳人の寺田寅彦がモデルと言われている。

ほしにゃー

寺田寅彦は『三四郎』の登場人物、野々宮宗八のモデルでもあります。漱石、寺田寅彦好きやな……

〇越智東風(おちとうふう)…詩人でロマンチスト。
〇多々良三平(たたらさんぺい)…現代の佐賀県唐津市出身。物産会社の役員。

もっとたくさんの登場人物が入り乱れますが、だいたい苦沙弥先生の家でわいわい話している風景が多いです。
苦沙弥先生は30歳くらいの設定で、夏目漱石自身がモデルだと考えられています。

明治時代のインテリ層から見た日本社会や思想について窺い知ることができますし、古典落語をモチーフにした事件が起きたかと思えば真面目な哲学の話が展開されたりして、苦沙弥先生のおうちにお邪魔して一緒に飲んでいる気分になれますよ。

ほしにゃー

ちょこっとしか出てきませんが、多々良三平の九州弁を読むとなんだかホッとしますw

漱石と猫

時代が時代なので、作中の猫の扱いが粗雑なのは仕方ないのかな……と思っていたのですが。
実は『吾輩は猫である』のモデルとなった猫は漱石の愛猫であり、猫が亡くなった際には友人たちにお知らせの通知を出したほどの可愛がりよう。

ほしにゃー

猫好きと知ると、さらに親近感が湧きますね!

『吾輩は猫である』の名無し猫はストーリーの関係上、粗雑に扱われていただけだと知ってホッとしました。
漱石は愛猫のお墓を建てただけでなく、句を添えたり猫についての随筆を書いたりと猫愛半端ないです。

ほしにゃー’s レビュー

ほしにゃー’sレビュー

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。

夏目漱石著『吾輩は猫である』より

『吾輩は猫である』の全文は読んだことがなくても、冒頭部分だけは知っているという日本人は多いと思います。
個人的に、小説の冒頭部分というのはお笑いでいうところの『掴み』に相当する大切な部分だと考えているのですが『吾輩は猫である』もバッチリ。掴みはオッケーです。

この名前のない猫が主人公の『吾輩は猫である』が漱石の処女作だというのは意外でした。
冒頭の読者を引き込む上手さもそうですが、作品全体が良い意味で力が抜けているというかエッセイ風なので、何作目かの作品だとばかり思いこんでいたのです。

血沸き肉躍るストーリーではないのでやや冗長な印象もありますが、何かの合間に少しずつ楽しむのに向いている作品かも知れません。
日本一有名な名無し猫の物語を、あなたも覗いてみませんか?

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